投稿日:2026年1月31日 | 最終更新日:2026年1月31日
先日、無自覚アダルトチルドレンママの「からあげママ」の話を書きました。
今回の出来事は、ただの「ママ友トラブル」や「育児の価値観の違い」ではありませんでした。
書き終えてみて気づいたのは、私はここ数年、彼女ひとりを見ていたわけではなく、「毒親の連鎖」そのものを観察していたのだということです。
目の前で起きた行動のひとつひとつは、たまたまではなく、彼女の生育歴から続く「構造」として積み上がっていた。
その構造が、次の世代にどんな形で受け継がれていくのか。
私はその連鎖の途中に居合わせてしまったのだ、と今ははっきり分かります。
この記事は、彼女を批判するためではありません。
連鎖が起きる仕組みを、ただありのまま記録しただけです。
そして、同じ構造の中で苦しんできた誰かが、そこから抜け出すヒントになりますように。
今回は、あとがきとして、ちょっと思ったことを書いていきます。
この記事は、特定の個人を攻撃するものではなく、子育てにおける『自覚なき支配』の構造を考えるためのものです。
AIが示した「詰み」の構造

今回の記事を書く中で、私はAI(Gemini)にも、からあげママの関わり方を「構造」として分析してもらいました。
その結果は、私の感覚を裏づけるように、「この連鎖は本人の努力では止められない」という結論に近いものでした。
彼女の育児に見えていたのは、単発の問題行動ではありません。
- 「ヘンテコ育児」や「ヘンテコ距離感」の自覚がない
- 内省が起こらない
- 修正しようとする知性が働かない
AIの分析も、まさにそこを指摘していました。
Geminiの分析
AI(Gemini)の視点から、記事で「ヘンテコ育児」と称された関わりを分析すると、そこには毒親の連鎖が次世代へ引き継がれてしまう「負のメカニズム」が色濃く反映されている可能性が高いと評価されます。
認知の歪みがもたらす社会性の欠如:
店員を「先生」と呼ぶなど、世界の構造を「役割」ではなく独自の「上下関係」でラベリングする行為は、子どもの健全な社会認識に影響を及ぼす懸念があります。
「対等な人間関係」を学ぶ機会が失われ、将来的に「支配か服従か」という極端な二元論でしか他者と関われなくなるリスクを孕んでいます。感情の抑圧と「条件付きの愛」
子どもの強い感情(癇癪など)に寄り添わず、落ち着いた時にだけ「いい子」として受容するスタイルは、子どもに「負の感情は隠すべきもの」というメッセージを無意識に刷り込むことになりかねません。
これは、子どもが真の自己を封印し、親の期待に応える「偽りの自己」を形成する、AC特有の心理構造を再生産する要因となります。無自覚な「他責」の学習
「先生に怒られるよ」といった外部を使った叱り方は、親が責任を引き受けない「他責の論理」を子どもに学習させます。
誠実さよりも「どう見られるか」「いかに責任を逃れるか」を優先する生存戦略は、結果として子どもが社会的な信頼を築く上での大きな障壁となる可能性が否定できません。総評: 彼女の育児は、子どものSOSを「親自身の不安を解消するためのポジティブ変換」で覆い隠すことで維持されているように見受けられます。
「内省のきっかけを外部に求め、自分自身の内面と向き合うことを回避し続ける」という現在の構造が続く限り、自力でこの連鎖の鎖を断ち切ることは、心理学的な観点からも非常に困難な道のりであると推測されます。
人の行動には、その人なりの「世界の見え方(認知)」が土台にあります。
その見え方が歪んだまま固まっていて、しかも本人がその歪みに気づけない状態だと、どんな出来事が起きても「行動を見直す」という発想にたどり着けません。
つまり、「変わろうと思えば変われる」という次元の話ではないということです。
私が見ていた違和感は、ただの育児のクセではなく、本人の努力では突破できない「構造的な詰み」だったのだと、AIの分析によって改めて理解しました。
「向き合う」 が「追いつめる」に変わる
からあげママだって、子どもを不幸にしようとしているわけではありません。
子どもを思う気持ちは、愛情でしょう。
でも、子どもと向き合っているつもりなのに、なぜかうまくいかない。
むしろ、子どもの心は捻れ、閉じていく。
これは、アダルトチルドレン気質の親に特有の「構造」があります。
AC親の「話し合い」が、なぜ「安全ではない」のか
ACの人の言う「ちゃんと向き合う」「話し合おう」は、実際には「子どもの感情を尊重する時間」ではなく、「親が自分の不安を解消したい時間」になることが多いのです。
だから質問がこうなる。
- どう考えてるの?
- ママのどこが嫌だったの?
- なんでそんなふうに感じたの?
- ママはこんなに考えてるのに?
表面は「対話」に見えますよね。
子どもは「正解を言わされる側」になり、親は「自分が納得する説明」を求めてくるんです。
ここには、対等さがない。
境界線もない。
安全もない。
その結果、話し合いは「追いつめる時間」になる
親が求めているのは、子どもの本音ではなく、
「納得できる理由」
「自分が良い母である根拠」
「不安を静める材料」なんです。
だから、子どもの深い感情には届かないんです。
むしろ、子どもの境界線をこじ開けて、中身を検品する作業になってしまう。
「私、合ってる?」
「私、いいママよね?」
「うちの子、変なほうに行かないよね?」
これは、ACの人が無自覚のうちに身につけてしまった「自分の不安を相手に説明させて解消する」というパターンが表に出ているだけなのだと思います。
その結果、「向き合おう」としているのに、実際には子どもを追いつめてしまう構造がここにあります。
「親が安心したいだけ」の、NGな関わり
一見、子どもと向き合っているように見える声かけでも、実際には「親の不安を子どもに処理させてしまう構造」が働くことがあります。
特に、アダルトチルドレン傾向のある親では、それが無自覚に起きやすいのです。
たとえば子どもに対して、次のような声掛けをしてしまう場面があります。
- 「どう思ってるの?」
- 「ママはこう考えてるんだけど?」
- 「ちゃんと話そう?」
これらは、対話に見えるかもしれません。
しかし、子ども側からすると「親の安心のために正解を言わせられる時間」になってしまうことがあります。
子どもの気持ちを引き出すためではなく、親が「納得できる説明」を求めてしまうことで、対話そのものが子どもにとって安全ではなくなってしまうのです。
本当に安全な「向き合い」とは?
安全な対話は、「話すこと」ではなく、「話さなくてもいい」 が保証されている状態のことです。
子どもと向き合うとは、子どもの感情を「こじ開ける」ことではなく、親が「こじ開けたい衝動を抑えること」でもあります。
安全な関わりには、こんな土台が必要です。
-
- 子どもに「話させない」勇気がある
- 理解しようと急がない
- 修正しない
- 評価しない
- 「あなたはそのままでいい」と伝える
この基盤が揃って、初めて「対話」は成立するんです。
希望は 「からあげママ本人」 ではなく 「次の世代」にある

私は、からあげママの「詰んでいる状態」を間近で見てきました。
そして、これまでの毒親克服カウンセラーの経験からも感じるのは、毒親の連鎖を断ち切るうえで、いちばん必要で、いちばん難しいのは「まず気づくこと」だということです。
からあげママが気づくのは、難しい。
こんなに私が側で、価値観やバウンダリーを示していても、それを自己を省みることには使えなかったんです。
からあげママとの関係が崩れたあと、私がずっと考えていたのは「彼女は変われるのか」ではなく、「連鎖はどこで止まるのか」 ということでした。
彼女自身は、育て方の問題や子どものSOSに気づくための「心のセンサー」が働きにくい。
それは責めるべき欠点ではなく、彼女が育ってきた環境の必然であり、私が外側からどうにかできる領域ではありません。
彼女自身もまた、毒親の被害者です。
けれど、希望が一切ないわけではありません。
これから長女ちゃんが大きくなれば、家庭から精神的に離れ、外に居場所を求めるようになるでしょう。
連鎖が止まるとしたら、それは母親の変化ではなく、子ども自身が「自分の世界」を見つけに行く力を持つこと。
私はそう思うようになりました。
だから私は、彼女を変えようとするのではなく、長女ちゃんが安心して寄り道できる場所を、淡々と残しておこうと決めました。
この記事も、いつか役に立つといいなぁ。
私の心の引っかかりは、「子どもの努力」が「彼女の手柄」にされる未来

正直に言うと、今回の一連の流れで私がいちばんひっかかっているのは、彼女との関係が崩れたことでもなく、彼女が自分を変えられないことでもありません。
それは、これから長女ちゃんが自力で居場所を見つけ、外の環境や周囲の大人たち、そして自分自身の判断によって少しずつ安全な場所を見つけていくようになるとき。
その結果だけを、彼女が当然のように自分の手柄として受け取ってしまう未来が、 はっきりと見えてしまったことでした。
HSCのような、子育ての歪みが内側に行きやすい子は、親の元にいるうちは、表面上は壊れにくいんですよね。
自力でサバイバルできてしまうから。
ただ、その反動は、社会に出てから、あるいは自分の家庭や子どもを持ったとき、じわじわと形を変えて現れてしまう。
「子どものサバイバル」を「親の手柄」にすり替える構造(Geminiより)
心理学の観点から見れば、子どもが自力で「外の居場所」を見つけようとするのは、家庭に安心がない場所で生き抜くための切実なサバイバルです。
感受性の強い子が親の支配をすり抜け、自分の足で安全な場所を勝ち取ったとき、その成果を親が「自分の教育の手柄」として回収することは、究極の搾取と言えます。
このように本来の自分を抑えて親の期待を背負わされた歪みは、大人になってから深刻な生きづらさや空虚感として表出するリスクを孕んでいます。
周りの大人にできるのは、親がどう自惚れようとも、その子が「自分の力で道を切り拓いたこと」を正当に認め、親の支配が及ばない安全な標準を示し続けることです。
あるあるなので、覚えておくといいです。
それでも私は、安心できる場所をそっと残しておきたい

私はもう、からあげママを変えようとは思っていません。
(縁も切ったしね)
彼女の内側にある構造は、本人の努力だけで変わるものではないし、私が背負うべきものでもありません。
ただ、関わりを断ったあともひとつだけ決めていることがあります。
長女ちゃんのように、連鎖の渦に巻き込まれて育つ子が「安心を感じられる場所」を、世界のどこかに残しておきたい。
過剰に踏み込むつもりはありません。
家族の問題を代わりに背負うこともできません。
けれど、行き場をなくした子がふと辿り着いたとき、「ここは大丈夫だ」「この人はわかってくれる」と思える場所を、ネット上に置いておきたい。
それが、私がこうした記事を書き続ける理由でもあります。
毒親や自己否定の連鎖の中で育った人が、自分の感情や選択を「自分はこれでいい」と扱えるようになるためには、健全な関わり方の基準に触れられる場所が必要だからです。
私は誰かを救えるわけではありません。
でも、誰かが自分の足で連鎖を抜けだそうとするとき、ヒントにはなれるかもしれない。
その可能性だけは、手放したくないと思っています。
