投稿日:2026年1月26日 | 最終更新日:2026年1月31日
私が2025年に出会った(そして拒絶したw)伝説のAC(アダルトチルドレン)と言えば、魔女。
▼魔女の関連記事▼
【毒舌です】「張り合い型バグ人間」考察ストーリー 〜その名は「魔女」〜
実はその裏で、魔女よりもっと複雑なAC構造を抱えた女性を観察し、そしてこの度無事(?)ご縁を切ったので、今回はそのことを書こうと思います。
これは、怒りの告発文ではありません。
「ACの子育て構造」を整理し、私自身が「なぜこの人と付き合い続けるのが難しいのか」を言語化し、「距離を取っていい」という許可を自分に出し、出来事を昇華するために書きます。
1個人に対する観察というよりも、「無自覚アダルトチルドレンママの子育て」という構造から、読み解きたいと思います。
ただ、私も嫌な思いをした出来事の発散記事なので、否定的で批判的な表現も含んでいます。
人によっては、読むのがキツイかもしれません。
私に対して、嫌悪感や恐れを感じる可能性もあります。
そして、もしかしたら、あなたの「毒親育ち」の傷を、刺激するかもしれません。
もしその際は、どうぞ画面を閉じてください。
「からあげママ」のこと
そのACママ「からあげママ」は、娘の保育園からの仲のいいお友達のお母さんでした。
(あだ名の由来は、次女ちゃんがからあげ大好きなので。単なる事実なだけで、他意はありません)
どこにでもいる、普通のお母さん。
そんな印象でした。
付き合いも長く、他の保育園のお友達親子も含めて遊んだり、個別で遊んだりする仲でした。
しかし私は4年ほど前から、彼女の「おかしな育児」や「おかしな距離感」に気づきました。
説明のつかない違和感が積み重なり、「これは毒親育ちのアダルトチルドレンかもしれない」と、好奇心をくすぐられ、観察と分析をするようになりました。
からあげママの「ヘンテコ育児」

観察をしてみると、ちょっとおかしな育児をしていることが多くありました。
店員さんを「先生」と呼ぶ
からあげママは、なぜか店員さんのことを「先生」と呼んでいました。
娘と長女ちゃんは小4ですが、小3の当時にも長女ちゃんは店員さんのことを「先生」と呼んでいました。
さすがに小3で店員さんを「先生」と呼んでたら、恥ずかしくないか?
子どもが恥をかくことを想像できないのかな。
店員さんを「先生」と呼ぶ心理は?
では、なぜ店員さんを「先生」と呼ぶのか?
これは、二つの心理が考えられます。
①「子どもにわかるように伝える」をズレてやっている?
乳幼児を持つ母親であれば、「あんよ」「おてて」などの幼児言葉を使うでしょう。
でもそれも、発達段階で自然と修正していくものです。
これは推測ですが、からあげママが「店員さん」を「先生」と呼ぶのは、「わかりやすい言葉で表現したつもり」なのではないでしょうか。
でも、ズレてるんですよね。
ピクルスのことも「きゅうり」と言ってました。
なぜズレてしまうかというと、世界が感覚的に混ざっている・イメージで理解しているからでしょう。
ポイント
本来は、物事を以下のように階層的・構造的に理解します。
- きゅうり(生の野菜)
- ピクルス(加工食品・調理カテゴリ)
- 店員(サービス提供者)
- 先生(教育者・指導者)
アダルトチルドレンは、この「構造的理解」が苦手です。
世界を正しく理解するよりも、「怒られないように」「見捨てられないように」生きることが最優先だからです。
ちなみに私は幼児言葉を使わずに育てたので、娘は「あんよ」がなにか知りません(笑)
発達に合わせて「名詞」の呼び名を更新していくのって、地味にコストかかるじゃないですか。
(これはあくまで、我が家の教育方針です。)
②世界を「役割」ではなく「上下関係」で見ている認知の歪み
店員さんは本来、サービスを提供するという「役割上の関係者」です。
それを「先生」と呼ぶことで、役割ではなく上下関係(序列)に変換しています。
役割は違うけど対等な人間関係である存在を、無理やり上下関係のフレームに置き換えているんですよね。
これは、ACが人間関係を「対等」ではなく「上下・主従・支配構造」で築くという特徴のせいでしょう。
この構造のリスク(chatGPTより)
世界の構造からズレた幼児言葉(ラベリング)を使うリスクは、「子どもも同じように、イメージで世界を理解してしまう」ということでしょう。
イメージで世界を理解していると、「なぜそうなのか」を考える前に、「怒られそう」「偉そう」といった雰囲気で判断するようになります。
その結果、良い・悪いの基準が育ちにくく、「どう考えるか」より「どう見られるか」を優先しがちになります。その結果、社会では相手や場面ごとに態度を変えすぎて「信用されない」「一貫性がない」と見られやすくなります。
また、ルールや役割を理解せずに「立場が上か下か」で動くため、職場や人間関係で不公平感・被害者意識・対人トラブルを起こしやすくなります。
「ママはいいけど、先生に怒られるよ」

ある日、フードコートでご飯を食べていた時。
次女ちゃんが、テーブルに足をかけて靴置き場に乗っていました。
するとからあげママは「ママはいいけど、先生に怒られるよ」と言いました。
私はびっくりした。
「先生」もヘンテコだけど、「お店の人に怒られるよ」という注意の仕方は、育児においてわりと有名なNGだと思っていたからです。
お店の人を持ち出す叱り方は、「親が判断を引き受けず、外部の誰かを使って脅す形になる」と言われています。
(ChatGPTより)
あまりに不思議すぎて、Threadsでその心理を聞いてみました。
この叱り方が「NG」だと私は考えればわかるし、NGであることは色んなところで見聞きします。
なぜ、この叱り方をするんでしょうか?
すると回答は、以下のようなものでした。
- ママが我が身可愛さで、悪者になりたくない
- 子どもに嫌われたくない
- 子どものやりたいことを「尊重している」つもり(実際は尊重ではなく放置)
- 自分もそう言われて育った
- 「今」この行動をやめさせられれば、子どもの判断力の成長は関係ない
特に興味深かったのが、この叱り方をしていた元夫を持つ女性からの証言です。
(貴重な経験談をありがとうございました!!)
「その叱り方はおかしい。
怒られるからやめるのではなく、ここはみんなが使う場所だから、迷惑で失礼だからダメ。
『なぜしてはいけないか』を伝えて理解させてやめさせないといけない」というと、そのパパさんは
「そこまで考えるのはめんどくさいし、思いつかない」
「意識高すぎて息苦しい」
「叱り方にまで口出しされて、自由に子育てできない」
「俺には叱る権利もないのか」と反論してきたそうです。
私はこれ読んで、笑ってしまいました(笑)
ああ、思考を求められた瞬間に「被害者」になるやつだ、と思ったからです。
典型的なACの思考だなと。
バカにするつもりはありませんが、行動の原理が以下なんですよね。
- 悪者になりたくない
- 深く思考できない
- 内省できない
- 嫌なこと言われたから反撃しなきゃ!
だからこの「ママはいいけど、先生に怒られるよ」という言葉は、子どもを守るための配慮ではなく、親が責任から逃げるための言葉なのだと私は感じました。
主従関係+脅しの声かけ
からあげ家の姉妹は、どちらも癇癪がありました。
癇癪も、年齢やその子の気質によっては、一過性のものではなくSOSのことがあります。
▼関連記事▼
「それ、わがままじゃないかも」HSCの育てにくさに潜む「SOSサイン10選」と、親ができること
癇癪中に、長女ちゃんがパパをはたいてしまったことがあったそうですが、その時のママの対応です。
「目上の者に手をあげるなんて、やってはいけないこと」
「そんなことをしていたら、あなたは施設にいかないといけないよ」
この対応が、子どもにどんな影響を残すか、少し立ち止まって考えてみてほしいと思います。
この構造の歪さ
まず、親と子どもは対等な存在であり、「目上・目下」といった「主従関係」ではありません。
この考え方に違和感を覚える人ほど、「親は上、子は下」という関係性の中で育ってきた可能性があります。
そして、「施設に行く」というのは、子どもにとっては最大の恐怖となる「明確な脅し」です。
子どもに残るのは反省ではなく、ただの恐怖だけです。
落ち着いた声かけの裏で、突然切り替わるスイッチ
フードコートで、次女ちゃんがぐずっていたときのことです。
からあげママは、落ち着いた口調で次女ちゃんに声をかけ、言葉で諭していました。
ただ、その内容は感情に寄り添うというより、「こうするべき」「こうしたらだめ」と言い聞かせるようなものでした。
それでも次女ちゃんが泣き止まないと分かった瞬間、言葉は途切れ、説明もないまま、無言で『ばちん!!』と頬を叩きました。
世の中には、余裕を失い思わず手が出てしまうほど追い詰められている親もいると思います。
それ自体は、私は否定もジャッジもしません。
ただ、この場面から感じたのは、切羽詰まった末の衝動というより、思い通りにならないと悟った瞬間に切り替わる、別のスイッチでした。
そしてこの対応法は、からあげママだけでなく、パパもやっている様子でした。
甘やかすだけ甘やかして、親がガマンを超えたら急にキレる。
優しく向き合っているように見えて、実際には親が自分の感情を処理できなくなった瞬間、その負荷が子どもに向けて放出されている。
そういう構造が、そこにはあるように感じました。
普段は人格者の皮をかぶってるけど、自分の手に負えなくなると怒鳴ったり、突き放したりすることがありました。
仕組みや環境を整えたり、自分の内側を立て直したりする代わりに、手っ取り早くその場を終わらせる方法として「力」が使われている。
この切り替わりの速さこそが、私にとっては最も強い違和感でした。
この対応が子どもに与える影響(ChatGPTより)
この関わり方が子どもに与える影響は、叩かれた痛みそのものよりも、「予測できない危険が突然起きる」という感覚です。
落ち着いた声かけから無言の暴力へ切り替わる落差は、子どもにとって世界のルールを不透明にし、何が正しくて何が間違いなのか分からなくさせます。
その結果、子どもは「言葉は信用できない」「本音を出すと危険」という学習をし、感情を抑えて相手の顔色を読む行動が身につきやすくなります。
これはHSCに限らず、どの子にとっても、自己表現と安心感の土台を揺るがす体験になります。
子どもの感情処理をサポートしない

次女ちゃん(5歳)が癇癪を起こしている時。
からあげママは、放置です。
(癇癪の対応方法はその子の年齢や原因、気質などにもよって適切な対応が変わるので、ここでの対応方法への言及は控えます)
でも見ていると、次女ちゃんは過呼吸のような、「モーレツな怒りを自分で抑えている」ように見えました。
そして落ち着いてママのところへ行った次女ちゃん。
ママが放ったのは「ご機嫌直してくれてありがと♡」という一言です。
子どもが感情をコントロールできるようになってるじゃん、と思いますか?
私は違うと思いました。
本来、子どもが感情を自分でコントロールできるようになるには、以下のプロセスが必要です。
- 親(養育者)が、子どもの感情に寄り添い、言語化してあげる
- スキンシップなどで落ち着かせる
しかし、からあげママが子どもの感情に寄り添っている場面は、私が見ている限りほとんどありませんでした。
癇癪の最中は放置し、感情が一通り噴き出して、子どもが自力で落ち着いたあとにだけ、「ご機嫌直してくれてありがと♡」と声をかける。
それは一見、穏やかで優しい対応に見えるかもしれません。
でも実際に子どもが学んでいるのは、
- 怒っている私は受け取ってもらえない
- 落ち着いた「いい子」になったら、関係が回復する
- 強い感情は、ひとりで処理しなければならない
というメッセージです。
感情をコントロールできるようになったのではなく、感情を押し殺す術を身につけているだけだと、私は感じました。
子どもにとって必要なのは、「自分で我慢できたこと」への評価ではなく、荒れている感情そのものを一度受け止めてもらう経験です。
それがないまま育つと、感情は整理されず、ただ内側に溜まり続けていきます。
私も同じだったからすごくわかります。
モーレツに「謎の怒り」が沸いて、でもどうしようもなくて、親は聞いてくれなくて、ひとりで紙をハサミでジャキジャキ切って、怒りを発散していました。
この謎の怒りは、「怒り」ではなく、誰にも受け止めてもらえなかった感情が行き場を失って形を変えたものです。
感情の責任を姉に転嫁する
ある日、みんなで夜ごはんを食べる時。
からあげママが長女ちゃんへこう声をかけていました。
「今日は妹を怒らせないでね」
この言葉を聞いたとき、私は「妹の機嫌」という本来は親が扱うべき領域が、長女ちゃんの責任として語られているように感じました。
妹ちゃんが怒る理由は、妹ちゃんの内側にあるはずです。
それなのに、「怒る・怒らせる」という因果関係が長女ちゃんへ転嫁されているんですよね。
うちの母も、本当に多くて、「???」となることが多かったです。
こういった構造の中で、長女ちゃんは自然と、年齢を超えた役割を背負わされていきます。
- 妹の感情を背負う
- 機嫌を取る役割を担う
- 自分の感情より相手を優先する
これは、「叱る・指導する」とはまったく違う種類の声かけで、親が担うべき感情の扱いを、子どもに代行させてしまう仕組みです。
「責任のすり替え」が子どもに与える影響とは(ChatGPTより)
感情の責任を子どもにすり替える関わりが続くと、子どもは「周りの機嫌を守ること」が自分の役割だと受け取りやすくなります。
本来は大人が扱うべき感情を背負わされることで、自分の気持ちより相手を優先するクセが早くから身につき、境界線が育ちにくくなります。
また、起きた出来事の因果関係を自分のせいだと感じやすくなるため、過剰な罪悪感や自己否定につながりやすくなります。
この積み重ねは、対等な人間関係を築く力を弱め、相手に合わせすぎて疲れてしまうパターンを固定化させる可能性があります。
妹の情緒ケアをさせる
ある日、からあげ家のお小遣い(お手伝い)制度の話を聞いたとき、私は少し驚きました。
そこには「妹を泣き止ませたら200円」という項目があると聞いたんです。
続けてからあげママは、「子ども同士のほうが話が通じるんだよね🎵」と言い、妹ちゃんの情緒ケアを長女ちゃんに委ねている様子でした。
これらの関わり方は、本来は大人が担うべき「子どもの感情の処理」を、子どもに代行させてしまう構造です。
じゃあ、長女ちゃんの情緒は、誰がするの?(誰もしない)
子どもは、大人のように相手の情緒を受け止めたり、調整したりする力をまだ持っていません。
そしてこの構造の中で、子どもは少しずつ、次のような役割を引き受けるようになります。
- 相手の気持ちを読み取る
- 自分より他人を優先する
- 場を「うまく収める」ことに責任を感じる
これらは本来、大人が引き受ける責任であり、子どもが背負うには重すぎるものです。
それが子どもに渡されると、「いい子」として振る舞うことでしか場を保てなくなる。
その空気感に、私は強い違和感を覚えました。
SOSをポジティブ変換して受け止めない

HSCの「SOS」は、時に「こだわり」や「自立性」に見えることがあります。
- 持ち物へのこだわり
- 確認行動(何度も聞く・戻る・確認する)
- 予定変更への強い不安や混乱
- 音・匂い・触感への過敏さが強まる
- 一人で頑張ろうとしすぎる
- 感情表現が減り、我慢する様子が目立つ
しかしそれが「子どもの成長」か「SOS」かは、「大人が楽になるかどうか」ではなく、「子どもが安心できているかどうか」で判断する必要があります。
成長としての「こだわり」は、満たされていて余裕があり、失敗しても大丈夫、立ち直れるという安心感のもとで育ちます。
一方、SOSとしての「こだわり」や確認行動は、
- 不安が強い
- 環境への過敏さが増している
- それをしないと落ち着けない
といった特徴があります。
アダルトチルドレンママは、こうしたサインを「自立している」「しっかりしている」とポジティブな言葉に置き換えることで、受け止める必要のないものにしてしまうことがあります。
アダルトチルドレンママが、子どものSOSをスルーしてしまう理由(ChatGPTより)
アダルトチルドレンママは、自分自身が不安や弱さを「感じないように」生きてきたため、子どものSOSに直面すると耐えられなくなります。
その結果、「自立している」「しっかりしている」とポジティブ変換することで、助けを必要とする現実から目をそらしてしまうのです。
それは成長支援ではなく、親自身の心を守るための防衛反応です。
「特性からくる主張」を茶化す
長女ちゃんは、箸がテーブルにつくのを嫌がったり、ケーキの皿に他のものを置かれるのを嫌がったり、ケーキのフォークで別のものを食べられるのを嫌がるそうです。
どれも、HSCの子にはよくある感覚です。
うちの娘も若干潔癖気味ですし、私も箸がテーブルにつくのは嫌です。
清潔さそのものというより、感覚が繊細な特性から、混ざることや汚れること、想定外が起きることに強い不快感や不安を感じやすい状態です。
それを聞いたママは、わざと茶化すように「うぇ〜い!」と言いながら、パンをケーキ皿に置こうとしたそうです。
この話を聞いて、私は泣きそうになりました。
HSCにとって、自分の「嫌だ」という感覚は、わがままでも気分でもなく、必死に守っている安心のラインです。
それを笑われる、からかわれる、わざと踏み越えられるというのは、「その感覚ごと否定される」ということ。
ここで子どもが学ぶのは、
- 嫌だと言っても伝わらない
- 大事な感覚は笑われる
- 主張すると、傷つく
という世界観です。
HSCにとって、自分の主張を茶化されることは心を軽くするどころか、深く傷つく体験になります。
これは強さを育てる関わりではありません。
感覚を閉じさせる関わりです。
アダルトチルドレンママが、子どもの主張を茶化してしまう心理(chatGPTより)
アダルトチルドレンママが子どもの主張を茶化す背景には、感情や要求をそのまま受け取る余裕のなさがあると考えられます。
真剣に向き合うことは、配慮や調整といった責任を引き受けることにつながるため、冗談に置き換えて回避する行動が起きやすくなります。
これは悪意というより、向き合えなさから生じる防衛反応と捉えられます。
やっぱり、アダルトチルドレンは「防衛反応」で行動がズレていってしまうんだよね。
姉妹差別が「日常的に」存在していた
からあげママは、次女ちゃんには「かわいい」「かわいい」と、日常的に何度も声をかけていました。
次女ちゃんは非HSCである様子で、いわゆる愛嬌のあるタイプの子どもです。
一方で、長女ちゃんはおそらくHSC。
妹と比べられて、「可愛い」がもらえないことで、自己肯定感が下がっていった可能性があります。
HSCは、正直に言って育てにくい気質です。
反応がわかりにくく、刺激に弱く、切り替えにも時間がかかる。
親の側に、気力や余裕がないと対応が難しい場面も多くあります。
一方で、愛嬌のある子どもは育てやすい。
笑えば返ってくるし、空気も明るくなる。
親が「報われている」と感じやすいのは、自然なことだと思います。
ただ、その差をそのまま関わり方に反映させてしまうと、HSCの子どもは、静かに自分を否定していきます。
「なんで私は、普通にできないんだろう。」と。
chatGPTの補足
育てにくさを感じること自体は、悪いことではありません。
でも、そのしんどさを理由に、子どものサインを見落としてしまわないこと。
そこが、とても重要です。
スキンシップ不足と、その語られ方
長女ちゃんが小学校1〜2年生の頃、からあげママがこんなふうに話していたことがあります。
「まだこの子、抱っことか言うんだよ」
それは心配や困りごとというより、「もうそんな年齢なのに」という呆れや違和感を含んだ言い方でした。
一般的に見ても、 小学校1〜2年生の子どもが 抱っこやスキンシップを求めることは、 決して珍しいことではありません。
当時、他の子たちがママの膝に乗っている場面でも、長女ちゃんだけはママの膝に乗りませんでした。
推測にはなりますが、スキンシップを求めたときに拒まれる経験が重なった結果、長女ちゃんは、次第に自分から求めなくなっていったのではないかと感じました。
子どもが安心を確認する方法は、年齢や気質によって一人ひとり違います。
抱っこやスキンシップを求めることは、その子なりの愛着確認のサインです。
それを「拒みたい」と感じるとしたら、それは子どもの問題ではなく、親自身が自分の余裕や過去と向き合う必要があるタイミングなのかもしれません。
「搾取子」の連鎖という価値観
からあげママが、こんなことを言ったことがあります。
「子ども産んどけばキャッシュバックがあるからね〜」
この言葉の真意は、正直わかりません。
最初は、「生きがい」や「喜び」を、少し極端な言い方で表現しているのだと思っていました。
しかし、話を重ねるうちに、それが単なる比喩ではなく、
「子どもは将来的にお金をもたらす存在」
という感覚が、本気で含まれているのではないか、という違和感が強まっていきました。
実際に、からあげ夫婦は、親からお金をせびられて渡していたり、親の借金を肩代わりして返済していたりしました。
私や他のママが「親にお金を払ったことなんてない」と話したとき、からあげママは目をまんまるくして驚いていました。
一般論として、いわゆる「搾取子」と呼ばれる立場に置かれた人は、自分が搾取されていることに、なかなか気づきません。
それが「家族の普通」として刷り込まれていくからです。
からあげママの「ヘンテコな距離感」

ヘンテコ育児に加えて、からあげママには人間関係の距離感がおかしいところがありました。
境界線の話 → カーストの話にすり替える
私が「魔女マジでムリ」という「境界線の話」をすると、「カーストが違うんだよね」と、上下関係の話にすり替えることがよくありました。
他にも、私が「あの人距離感が変だから関わりたくない」という同級生ママの話をすると、また「カースト」の話に変換。
私は、カーストのような上下関係で人間関係を測る考え方は嫌いです。
もう一度言いますが、
私は、カーストのような上下関係で人間関係を測る考え方は大嫌いです。
「私は無理」
「私はここまで」
という「境界線(バウンダリー)」の話をしているのに、「上下関係」に変換してくるんですよね。
なんだかなぁ・・・違うんだけどなぁ・・・と思いつつも、話しても理解できないだろうからスルーしていました。
アダルトチルドレンが、「バウンダリー」や「対等な人間関係」を理解できない理由(ChatGPTより)
アダルトチルドレンは、子ども時代に「対等な関係」や「自分の範囲を尊重される経験」が乏しい環境で育っていることが多くあります。
そのため、人との距離を「自分はどこまで大丈夫か」ではなく、「相手が上か下か」という序列で捉える癖が身についています。
バウンダリーは本来、自分の快・不快や限界を示すものですが、上下関係の中で生きてきた人にとっては理解しづらい概念です。
その結果、「私は無理」「私はここまで」という自己表現が、対等な境界線ではなく、攻撃やマウントのように受け取られてしまうことがあります。
理解できないのは、理解できない理由があるんですよね。
1〜2年前から私に甘えだす

1〜2年前から、からあげママは私に対して、少しずつ「甘え」を見せるようになりました。
ただその甘え方は、一般的な「頼る」「助け合う」とは少し違い、どこか引っかかるものがありました。
いわゆる、アダルトチルドレン特有の「不誠実な甘え」です。
ここからは、実際にあった具体例を挙げます。
AC特有の「不誠実な甘え」
-
ビール代を「あとで払うね」と言い、そのまま払わない
(しかし、私が他の不誠実ママと縁を切ったことを言うと、急に払ったww) -
おうちで遊んだとき、アイスやお菓子を自分の子どもにだけ配り、私の娘には一切確認しない
-
みんなで食べようと思って買ったマーブルチョコ(大きいやつ)を、なぜかキッチンに持っていき、保管。
その日、マーブルチョコは出てこなかった。 -
娘が食べたくて買ったスナック菓子を、当然のように自分の子どもたちに与える
(娘は悲しい顔をしていました。私は帰り道で、同じものをもう一度買いました。)
Kumiマジでなんで??? -
フードコートでごはんを食べる約束をしていた日。
私が先に娘と長女ちゃんにポテトを買って食べさせていたところ、あとから来たからあげママが「これもらうね」と言い、代金に触れないまま次女ちゃんに全部渡す -
サイゼリヤでの食事代約7000円をちょろまかし、私が支払うことになった
(私は酔ってたけど、記憶はしっかりある日だった。たぶんいつも酔っ払って「ちゃんとお金払った?」って聞いてるから、酔ってて覚えてないだろうと思われたのかと) -
長女ちゃんがHSCかもしれない、という話を何度かしているにもかかわらず、ある日「知らなかった!」と、初めて聞いたかのような反応をする
ひとつひとつは、小さなことに見えるかもしれません。
私は数百円のことをいちいち指摘するタイプではありません。
でもそのたびに、「この数百円で、信用を失っていることに気づかないのがアダルトチルドレンなんだな」と感じていました。
お金の問題ではなく、関係性をどう扱っているかの問題だからです。
なぜ、不誠実な甘えが起こるのか(chatGPTより)
アダルトチルドレンは、人との関係を「対等なやり取り」として築く経験が乏しいまま大人になることがあります。
そのため、「甘えること」と「踏み込むこと」、「頼ること」と「相手の境界を越えること」の区別が曖昧になりやすいのです。また、不誠実な甘えの背景には、無自覚な愛情テストが含まれていることもあります。
「これくらいなら許されるか」「何も言われなければ大丈夫か」を、言葉ではなく行動で確かめてしまうのです。
しかしそのテストは、信頼を深めるどころか、少しずつ関係を壊していく結果になりがちです。
ずっと観察していた。それが依存になった?

私は、これらの境界のなさや、不誠実な対応に嫌悪感を感じつつも、「リアルなアダルトチルドレンの子育て」として、とても興味深く観察していました。
だからその場で指摘することも、否定することもありませんでした。
口を出さず、距離を取りつつ、ただ見ていただけ。
観察して、こっそり分析して、研究していただけです。
また、私は「人の人生は人のもの」「求められていないアドバイスはしない」という信念もあるので、そもそも人の子育てや選択に口出ししません。
人生の責任は、自分で取るもの!
しかし、この「何も言わない」「否定しない」という態度が、からあげママ側には別の意味で受け取られていた可能性があります。
否定されない。
距離を詰めても拒否されない。
それが、
「この人は特別」
「この人には甘えていい」
という「承認」や「特別扱い」として誤認された可能性があります。
ChatGPTの補足
アダルトチルドレンは、対人関係において境界が曖昧になりやすく、無言の許容を「OKサイン」と解釈しやすい傾向があります。
また、安心できる相手を見つけると、その人を「安全基地」や「無償で受け止めてくれる存在」として、関係性の中に取り込もうとすることがあります。
「観察」だったものが、相手にとっては「関係性」に書き換えられていた。
そんなズレが、少しずつ生まれていたのかもしれません。
縁を切ったきっかけ

きっかけは、長女ちゃんのSOS症状が、以前よりも明確に強く出始めたことでした。
これ以上同じ関わり方を続けるのはよくないと感じ、私は関わり方を少し変えたほうがいいのではないか、と伝えました。
すると、おそらく防衛反応だったのでしょう。
そこから、連絡は自然とフェードアウトしていきました。
その後、少し行き違いが起きます。
私がThreadsをブロックしたことで、連動してInstagramもブロックされてしまい、それを私は「からあげママにブロックされた」と勘違いしました。
これは完全に私のミスです。
その流れで、私は
「何かあった? ちょうどいいから、伝えたいことがある」
と連絡しました。
すると返ってきたのは、
「なにもないよ〜?」
という返事。
私が「実は私の操作ミスだった、ごめんね。伝えたいことはあるから、機会が来たらまた伝えます」と伝えると、
相手はこう言いました。
「うんいいよ!
私も久美子さんのタイミングが来たら向き合うよ!!」
私は、「今は伝えない」という判断をしただけでした。
話すかどうか、踏み込むかどうかを決める権利は、こちらにあります。
それなのに返ってきた言葉は、対等な保留ではなく、まるで相手が向き合うかどうかを決める立場に立ったかのような言い回しでした。
この瞬間、関係を修復しようとする気力が、完全になくなりました。
怒りというより、判断が終わった感覚。
いわゆる、「シャッターが下りた」感覚です。
このやり取りを通して、私は付き合い続けても無駄だな、話が通じないな、と判断しました。
そして、私はこう返しました。
これは感情的な捨て台詞ではなく、関係を続ける・続けないの主導権を、自分の手に取り戻すための言葉でした。
自分の境界は、自分で守らないといけないんです。
私はそのままInstagramをブロックし、彼女がいるLINEグループ(私が作った)は全て解散し、個人LINEもブロックしました。
完全に、関係を断ちました。
私は、コントロールや支配で人間関係を保とうとする人とは、お付き合いできないんです。
ChatGPTより
アダルトチルドレンは、人間関係の中で「主導権を持っている状態」を安心と結びつけやすい傾向があります。
そのため、距離や関係性の判断を相手に委ねる状況になると、不安が一気に強まることがあります。一度「自分が主導している」と感じた関係では、それを失うことに強い抵抗を示しやすくなります。
主導権を取り返されると、対話よりも防衛や混乱に入ってしまうケースが少なくありません。
これは支配欲というより、不安定な自己肯定感を保つための反応だと考えられます。
長女ちゃんにも見られた、不誠実な甘えの兆し

これは、とても書きづらい話です。
けれど、私が距離を取る判断に至った理由として、避けて通れない部分でもあります。
からあげママと私の関係だけでなく、長女ちゃん自身の振る舞いにも同じ構造が見え始めていました。
約束や時間の扱いが雑
長女ちゃんは、娘との約束を何度も破ることがありました。
その後のフォローや謝罪はなく、「忘れてた」という一言で済まされることがほとんどでした。
約束を破ること自体は、子どもにはよくあることです。
私が違和感を覚えたのは、約束を破ったあとに、関係を修復しようとする動きがなかったことでした。
娘は、こう言っていました。
「ごめんね、ってフォローもしてくれる」
さらに、娘が強く傷ついたのは、自分との約束は守られないのに、他の子との約束は守られている場面があったことです。
つまり娘は、約束そのものよりも、自分だけが雑に扱われているという違和感を感じていました。
ここで私は、次のように判断しました。
家庭の中で、「約束を守らないことが信頼を壊す」という学習がされていないこと。
そして、不誠実な振る舞いでも関係が続くことを、「甘え」として許されてきた可能性があること。
これは性格の問題ではなく、距離感と関係性の扱い方の問題です。
だからこそ、このまま関わり続けることは、娘にとっても健全ではないと判断しました。
でも、「大事にされていないと感じたら、離れてもいい。」ということは伝えています。
からあげ夫妻の生い立ち

プライバシーの観点から、からあげ夫妻の生い立ちをここで詳しく書くことはしません。
ただ、話を聞く限り、からあげ夫妻それぞれの親には、一般的に見て「毒親」と言える要素が、少なからずあったように感じています。
特に、夫婦そろって、親からお金をせびられたり、借金を肩代わりして返済していたという事実は、健全な親子関係とは言い難いものだと思います。
一方で、からあげ夫妻自身には、「自分たちは毒親育ちだった」という自覚は、あまりなさそうに見えました。
それどころか、親にお金を渡すことや、親を支えることを、
「仕方のないこと」
「当たり前のこと」
として受け止めているようにも感じられました。
親子関係の歪みは、自覚がないまま引き継がれることがあります。
問題が見えにくい分、それが「普通」だと思い込んだまま、次の世代に渡っていく。
私は、からあげ夫妻の生い立ちを通して、その連鎖の一端を見ていたのかもしれません。
まとめ
私は今回の件で、「相手が悪い」「私が正しい」とジャッジしたいわけではありません。
ただ、人間関係には、距離感や誠実さなど、その人の価値観が現れます。
価値観がズレたままだと、大人も子どもも負担になるでしょう。
相手を変えたい、謝罪させたいという意図はなく、自分と娘を守るために、一連の出来事を言語化して残すことにしました。
からあげママや、彼女の子どもたちにしてあげられることは、今の私には、これ以上ありません。
一度は介入しようとしました。
けれど、防衛反応として距離を取られました。
だから、私は「どこかの誰かのために」、この記事を書くことにしました。
今、似たような状況に巻き込まれて困っている人には、こう伝えたいです。
そして、
「自分は毒親育ちなのかもしれない」
「自分が、毒親の連鎖をつないでしまうのではないか」
そんな不安を抱えている方にも、この文章が届けば嬉しいです。
あとがきとして、こちらも合わせてごらんください。
