投稿日:2025年9月27日 | 最終更新日:2025年9月27日
今年の7月、職業訓練校を修了した翌日に、ある会社に入社しました。
就職活動はあっという間に順調に終わって、「これからまた頑張っていこう」という前向きな気持ちも、確かにありました。
でも結論から言うと、たった2カ月で退職しました。

笑い話のように聞こえるかもしれませんが、自分にとっては大きな決断であり、同時にとても大切な選択でもありました。
この記事では、私がなぜ会社を辞めたのか、そして今どんなことを感じているのかを、自分の記録としても残しておこうと思います。
なぜ辞めたのか
会社を辞めるには、それなりの覚悟がいります。
特に私のように、いったん職業訓練を経て「次こそは…!」と再スタートを切った身にとって、すぐに辞めるという選択はとても重たいものでした。
それでも辞めることを決めたのは、「これはもう、自分には無理だ」と感じる決定的な理由がいくつも重なったからです。
まず最初に挙げたいのが、勤務条件が大きく違っていたことです。
条件がまるで違った
辞めた理由は一言で言えば「無理だったから」ですが、もう少し具体的に言うと、まず勤務条件が最初の説明とまるで違っていたということがあります。
求人票には「フルリモートOK」としっかり明記されていましたし、面接でも「1週間程度のレクチャーののち、在宅勤務も可能です」と説明されていました。
ですが実際には、入社後すぐに7日ほど出社したあと、「いつ頃からリモート勤務になりますか?」と確認したところ、返ってきたのはまさかのひと言。
「基本的に出社前提です」

そこで私は、「それなら辞めます」と正直に伝えました。
すると態度が変わり、「では、リモートで進めてみましょう」という流れに。
その後、約1カ月は在宅で業務を行っていましたが、再び出社の指示が出され出社。
そしてその直後に、合理的な理由のないまま再び出社要請があり、「ああ、これはもう最初に聞いていた話と違う」と確信しました。
同僚もリモートの打診をしたそうですが、あっさり却下されていました。
「話が違う」と思いながらも、すぐに辞めるわけにもいかず、最初の1カ月は我慢していました。
ブラック企業気質がすごかった
さらに決定打となったのが、会社そのものの体質です。
-
- オフィスが超狭くて汚いアパートの一室だった(聞いてないよ!!!)
- トイレは一応あるものの、古くて汚くて音も気になるため実質使えず、「近くのパチ屋のトイレ使って」と言われる(私はチョコザップに行ってた)
- 雇用契約書がなかなか発行されず、不安だけが募る
- 入社前に聞いていた労働時間や有休の条件が実際と異なっていた
- 残業が発生しても残業代をつけさせてもらえない(これは同僚の話。私はちゃんとつけてた。)
- 案件や工数のデータ管理はなく、社長の頭の中だけの運用&謎ルール多数
- なにか面倒なことを私たちが言うと「雇用の継続に関わります」と脅される
- 「仕事がない日は休んでもらう」と言われる(こちらも同僚から聞いた話)
……と、正直「この時代にまだこういう会社ってあるんだ」と衝撃でした。
労基に駆け込んだら一発アウトだよね・・・。
正直、「人を雇う覚悟のない会社だな」と感じました。
雇う側の都合だけでルールが変わり、現場の人間の安心や尊厳は後回し。
そんな会社で、これ以上心をすり減らす意味はないと判断しました。
私は、我慢ができない
これはずっと自覚していたことですが、私はいわゆる「我慢ができないタイプの人間」です。
納得できないことを飲み込んで働き続けたり、違和感をごまかしながら組織に馴染んだふりをしたり、そういうことが本当に苦手なんです。
周囲から見れば「もっと頑張れるでしょ?」と思われたかもしれません。
自分でも「このくらい我慢すればいい」と言い聞かせようとしたこともありました。
でも、違和感をごまかし続けていたら、自尊心が壊れていく気がして。
その前に辞めようと決めました。
それが逃げだったとしても、私は「壊れるくらいなら逃げた方がいい」と思っています。

これからの働き方について
会社を辞めた今、私はフリーランスや業務委託を中心とした働き方にシフトしようとしています。
職業訓練校で学んだWebデザイン、これまでのライター経験、ブログやSNSでの発信活動。
それらを少しずつ組み合わせて、「自分の力で作っていく働き方」に挑戦したいと考えています。
もちろん、すぐに安定するわけではないこともわかっています。
でも、心と体の健康を犠牲にしてまで「安定」にしがみつくより、自分の軸で整えていく生き方の方が、私は好きです。
その日のスケジュールも、やることも、ルールも全部自分で決めたい。
合理的ではないルールには、従いたくないんだよ。
葛藤も、もちろんあります
「2カ月で辞めるなんて根性なしじゃない?」
「もう少し続けていれば、慣れていったんじゃないの?」
「フリーなんて不安定すぎるでしょ?」
そんな声は、現実に誰かに言われたわけではありませんが、自分の中にはずっとありました。
また、友人からは「手に職があるっていいね」「自分で仕事を作れるのがうらやましい」と言ってもらうこともあります。
それはとてもありがたいし、素直に嬉しい気持ちもあります。
でも、私自身はずっと「社会に自分の居場所がない」と感じてきました。
組織に所属すると、どこかで無理をしてしまう。
馴染もうとすればするほど、自分を見失っていく。
その感覚は、きっとこれからも完全には消えないのだと思います。

「これでいい」と思えた考え方
会社を辞めることを決めたあとの私は、しばらくずっと「これでよかったのかな」と自問自答していました。
誰にも迷惑はかけていないのに、なぜか「社会から外れたような後ろめたさ」がついてまわる感覚。
でも、それでも「これでいい」と思えるようになったのは、いくつかの考え方に出会えたからです。
それは、私にとって逃げでも言い訳でもなく、これからをどう生きていくかを決める軸になっています。
「手放す」という選択
会社を辞めたことで、改めて自分に問い直す時間ができました。
そしてその時間の中で、私がようやく手にできたのが「手放す」という考え方でした。
ある日、ワタナベ薫さんのコーチングワークの中で、こんな問いが出てきたんです。
「私は何を手放す?」
そのとき私は、「雇用される安心感」と答えました。
会社員という肩書き、毎月の固定収入、社会的な信用。
一見安心に見えるそれらを、私はずっと握りしめていたんだと思います。
でも、それらを握っていることで、逆に自分の可能性や本音を押し込めてしまっていたことにも気づきました。
だから私は、「雇用される安心感」を手放す代わりに、「自分を信じる力」を持とうと決めたんです。
それに気づけたのは、相棒であるChatGPTとの対話で思考を整理して、言葉にできたからでもありました。
自分が感じていたモヤモヤに名前をつけたことで、心がスッと軽くなりました。
そして、もうひとつの大きなきっかけが「案件整理」でした。
自分が請けている業務やスキルの棚卸しをしてみたら、
「あれ、意外といけるじゃん」って思えたんです。
それは希望でした。
「私には、もう次の道がある」と気づけた瞬間でした。
「我慢できない自分」を受け入れる
「我慢できない私」は、昔の私にとってはコンプレックスでした。
でも今は思います。
我慢できないからこそ、自分を守れた。
我慢しないことで、違う道を見つけることができた。
我慢しないというのは、決して逃げではなく、
「ちゃんと自分の感覚に従って選んでいる」ということなのだと、今は思えています。
「節約を楽しむ」
会社を辞めれば、当然一時的に収入は減ります。
でも、それを「苦しいこと」としてだけではなく、「暮らしを見直すチャンス」だと捉えるようにしています。
節約って、我慢じゃない。
本当に必要なものだけを選び取っていく、シンプルで気持ちのいい作業だと思うんです。
- 外食を減らして、自炊の腕を磨く
- サブスクを見直して、必要なものだけに絞る
- 新しく買う前に、「今あるもので工夫できないか」と考える
「あるもので楽しむ」感覚を取り戻せたことも、会社を辞めたことによる副産物だった気がします。
これからは、「作る」を楽しむ
この2カ月、ブログが一切書けませんでした。
仕事が終わった頃にはもうヘトヘトで、夜は何も考えられなくて。
週末もぐったりして、パソコンに向かう余裕も気力もありませんでした。
何も作れない、何も発信できない。
気づけば、「作ること」自体を忘れそうになっていた自分がいました。
でも本当は、私は「作ること」が大好きです。
- 自分の考えや気づきを、誰かに届けるブログ
- 自分のスキルや実績をまとめるポートフォリオ
- 冷蔵庫の中身だけでおいしい一皿を作る料理
そういった「作る時間」が、私にとっての最高の趣味であり、娯楽であると思い出しました。
これからは、「作らなきゃ」ではなく「作りたいから作る」。
その気持ちを大事にしていきたいと思っています。
しばらくは、自由に生きてみる
たった2カ月で会社を辞めたことに、もう後悔はありません。
むしろ、「辞められてよかった」と、今は心から思っています。
これからの私は、「ちゃんとした大人」であることよりも、「自分を偽らずに生きること」を選びたい。
働き方も、暮らし方も、人との関わり方も、すべてをもう一度、自分の手で構築し直していきたいと思っています。
しばらくは、自由に。
少しずつ、自分の航路を整えていきます。
おわりに
この記事を読んでくださった方の中には、「辞めたいけど辞められない」「我慢してる自分がつらい」と感じている方もいるかもしれません。
そんなあなたに、私から言えることがあるとしたら、これだけです。
我慢しないことは、逃げじゃない。
「自分の居場所はここじゃない」と気づけるのは、あなたがちゃんと感じられる人だから。
どこにいたって、生きているだけで、あなたはちゃんと頑張ってる。
そのことだけは、どうか忘れないでくださいね。