自己理解と心のケア

40代で虚無感を感じるのはなぜか?その構造と、来ない人の話

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40代で虚無感を感じるのはなぜか?その構造と、来ない人の話

投稿日:2026年4月22日 | 最終更新日:2026年6月12日

スレッズで、こんな言葉を見かけました。

30代を役割で生きてきた人は、40代でアイデンティティクライシスにぶつかる

読んだ瞬間、ああ、そういうことか!と思いました。

ずっと不思議だったんだよね。
自分の周りにいる、問いを立てないで生きてる人たちのことが。

話していて、「この人、自分の人生について考えたことがあるんだろうか」と思うような人が、一定数いる。
ACだったり、役割で生きてきた人だったり。

「流されるように生きてきた人は、この先どうなるんだろう?」
その疑問への答えが、やっと出た気がしました。

やっぱり、立ち止まるんだ、と。

Kumi
問いを立てないで生きてる人を見ると、つまんなくないのかなって思ってた。
私だったら絶対やだ。

でもそれは、私がそういう人間だってだけの話で、そういう生き方が「普通」なのかもしれない。

今日は、40代の虚無感の正体を解体しながら、「来る人・来ない人の違い」と、毒親育ちやACが抱えてきた苦労が実は危機への「ワクチン」になっているかもしれない話をしたいと思います。

40代の虚無感の正体。何が起きているのか

40代の虚無感の正体。何が起きているのか

アイデンティティクライシスとは

「ミッドライフクライシス(中年の危機)」とも呼ばれていて、聞いたことがある人もいるかもしれません。
一言で言うと、「自分が何者なのか、わからなくなる状態」のことです。

なぜ40代に起きるのか。

それは、自分を支えていた「役割」が変化する時期だからだと思います。

子育てがひと段落して「親」という役割が薄くなる。
管理職になって「自分のやりたいこと」と「組織の期待」がぶつかる。
体力の衰えを感じて、「若さ」というアイデンティティが静かに崩れていく。

または、「こんなはずじゃなかった」という感覚が、ふとした瞬間に浮かび上がってくる。

これまで自分を形作っていた役割や肩書きが変わったとき、初めてこんな問いに向き合わされます。

役割を全部脱いだ私って、いったい何者?

その問いへの答えが用意できていない人が、虚無感やクライシスに陥る。それが構造だと思っています。

ちなみに「40代の危機」と言われていますが、実際には子どもの巣立ちや更年期と重なる50代前後に本格的にやってくる人も多いようです。

末っ子が中学・高校に上がって手が離れてきたとき、ふと「で、私は何がしたかったんだっけ」という問いが浮かび上がってくる。
そういうタイミングで来ることも珍しくないです。

来やすいのは、「ちゃんとしてきた人」だという話

来やすいのは、「ちゃんとしてきた人」だという話

一言で言うと、「自分」より先に「役割」を生きてきた人だと思います。

いいお母さんでいることが自分の軸にある人。
仕事ができる人と思われることで自己肯定感を保ってきた人。
誰かの期待に応え続けることで居場所を確保してきた人。
「◯◯さんの娘」「◯◯くんの奥さん」という枠の中で生きてきた人。

ここで注意したいのは、「役割」は家族や結婚にかぎらないということです。

「仕事ができる自分」
「若くてフットワークが軽い自分」
「いつか結婚するかもしれない自分」

そういう自己イメージも、立派な「役割」として機能しています。
だから、独身の人や子どものいない人にも、このクライシスは十分やってきます。

役割が変わったとき、あるいは脱いだとき、その下には何もなかった、と気づく。
それがクライシスの本質かなと思います。

クライシスが来た人は、どうなるのか

クライシスが来た人は、どうなるのか

では、実際にクライシスにぶつかった人は、どうなるのでしょうか。

よく見られるパターンとして、大きく3つあると思っています。

①気づかないまま別の何かで埋める

急に推し活にハマる、習い事を始める、転職する、離婚する。

本人はクライシスとは気づかず、「なんかこれじゃない感」を行動でごまかす
私の肌感覚では、これが一番多いんじゃないかと思っています。

悪いことではないけれど、根っこの問いには向き合えていないので、また別の形で浮上してきやすい。

②しんどくなって立ち止まる

気力が落ちたり、体に症状が出たりして、動けなくなったとき、初めて「自分って何がしたかったんだろう」と向き合い始める。
しんどいルートではあるけれど、これが一番「本物の自分探し」につながりやすいとも言えます。

ただ、ここに気づくのは、いちばん難しいと思ってます。

③誰かに話して整理する

友人やカウンセラーに話す中で、「あ、私クライシスだったんだ」と後から気づくケースです。
言語化することで、問いが具体的になります。

どのパターンをたどるにしても、最終的には「役割を脱いだ自分と向き合う」という作業から逃げられないんですよね。

クライシスは、その作業への強制的な招待状なのかもしれない。

Kumi
「強制的な招待状」って、なんか嫌な表現だけど、言い得て妙。
来たくなかったけど来てしまった、みたいな感じだよね。

応急処置では、足りない

試しに「40代 虚無感 原因」で検索してみたんです。

出てきた対処法がこれでした。

「やらないことを決める」
「体調管理を最優先に」
「ルーティンを少し変えて脳に刺激を与える」

Kumi
……応急処置やん!!!(笑)

頭痛薬を飲んで頭痛を抑えながら、原因の高血圧は放置している状態!!

楽にはなるかもしれない。
でも根っこの問いは何も解決されていない。

だからまた、別の形で浮上してくる。

では、根っこの問いに向き合うとはどういうことでしょうか。

私がやってきたのは、ひたすら「自分の感情を観察して、言葉にする」ことでした。

難しいことじゃなくて、「いまなんか嫌だった」「これは怒りだ」「この人といると消耗する」。

そういう小さな気づきを、流さずに拾い続けること。
それを積み重ねていくと、少しずつ「私はこういう人間だ」という輪郭が見えてきました。

役割を脱いでも、下に「自分」がいる、とわかってくる。

この作業を助けてくれる本は、たくさんあります。
私自身、本を読みながら自己理解を深めてきました。

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自分と向き合う入り口として、まずは一冊、手に取ってみてほしいです。

具体的なセルフカウンセリングの方法については、こちらの記事も参考にしてみてください。

私にはたぶん来ない、という話

私にはたぶん来ない、という話

では私はなぜ「来ない」と感じているのか。

サバイバルとしての自己観察

一番大きな理由は、自分と向き合うことを、ずっとやめられなかったからだと思います。

「やめられなかった」というのは、好きでやっていたわけじゃないです。

毒親育ちで、アダルトチルドレンの回復をしてきた私には、自分の内側に向き合うことが、ほぼ強制イベントでした。

トラウマや防衛反応が出てくるたびに、押し込めてきた怒りや悲しみ、絶望と向き合う。
その繰り返しでした。

途中までは「もう乗り越えた」と思うたびに、新しい地雷が出てくるんです。

え、まだ克服してなかったの自分、って。
一生これ続くの?と思ったこともありました。

でも、だんだん頻度が減ってきて、そのうち気づいたんです。

これは試練じゃなくて、乗り越えるたびにアップデートできる「更新通知」なんだ、と。

乗り越えたあとは確実に幸福度が上がる。
自信になる、レジリエンスがつく、「自分は大丈夫」と思える。

そういう体感が、乗り越える旅に積み重なっていきました。

今は、出てきたらラッキーくらいの感覚。
年に一個、あるかどうかです。

この作業の土台を作ってくれたのは、ワタナベ薫さんのブログでした。

「構造思考」や「セルフコーチングの考え方」を読み続けるうちに、自分の感情や思考を俯瞰して見る癖がついていきました。
薫さんがいなかったら、今の自分はいなかったと思っています。

フリーランスという構造

それに、フリーランスという働き方も関係しているかもしれません。

会社員のように肩書きで自分を定義できない分、常に「私は何者か」を自分で作り続けないといけない
それが意図せず、アイデンティティを鍛えてきたのだと思います。

苦労が「耐性」になっていたという逆説

ここが、ちょっと複雑な気持ちになる話です。
毒親育ちやACの経験は、長い間「傷」として綴ってきました。

自己肯定感が低い、人間関係が難しい、感情のコントロールが苦手。
そういう面は確かにあります。

でも、回復の過程でやってきたことたち。

  • 自分の感情を観察すること
  • 自分の価値観を問い直すこと
  • 役割ではなく「自分」として生きようとする試行錯誤

これらは、まさにアイデンティティを掘り下げる作業そのものです。

40代のクライシスに陥りやすい人が「40代で初めて向き合う問い」を、私たちはずっと早くから、否応なく向き合わされてきた

それは理不尽だった。
もっと楽な道を歩きたかった。

でも同時に、その作業が「私とは何者か」への解像度を、少しずつ上げてきたとも言えると思っています。

この連鎖の構造についてもっと深く知りたい方は、こちらも読んでみてください。

Kumi
これを「よかったじゃないか」って言いたいわけじゃないんです。
「苦労が報われた話」みたいに綺麗にまとめたくもない。

ただ「あの時間は無駄じゃなかった」って、自分にだけ言えると思う。

「私は、何者でもない」という答え

「私は、何者でもない」という答え

「自分は何者なのか」

これが、クライシスの核心にある問いです。

私はもう、答えが出ています。

私は、何者でもない

ここに至るまでに、いくつかの段階がありました。

毒親育ちで、自分というものがなかった。
だから「自分探し」をし続けた。

でも探しても探しても、しっくりくる答えが出なかった。

HSS型HSPという、矛盾をはらんだ性質を持っているから。

アクティブなのにインドアで、大胆なのに慎重で、刺激を求めるのに繊細で。
「自分が何者かわからない」という感覚が、ずっと拭えなかった。

でもある時、気づいたんです。
両方切り替えられる自分がいる、と。

アクティブにも、インドアにもなれる。
大胆にも、慎重にもなれる。

矛盾しているんじゃなくて、その矛盾ごと、自分だった。

そしてその矛盾が、自分の人生を思い通りにコントロールする操縦桿(そうじゅうかん)になっていた。

何者かになる必要は、なかった。
でも役割はある。

自分の人生を、全部をコンテンツにして、同じように悩んでいる人に届けること

それが今の私の役割です。

クライシスに陥る人は「何者かになろうとして、なれなくて虚無になる」。
でも「何者かになる必要がない」という前提に立てた時、「自分は何者か」という問いは、焦りではなく好奇心になっていきます。

何者かを「探す」のをやめて、何者かを「作っていく」感覚に変わるから。

これが、私にクライシスが来ない、いちばん根っこの理由だと思っています。

Kumi
「クライシスが来ない=完成された人間」ではないからね。
私も揺れるし、迷子になります。

ただ、迷子のまま歩き続けることには、慣れてるんだ。

クライシスが「来ない」ことは、ゴールじゃない

クライシスが「来ない」ことは、ゴールじゃない

一方で、アイデンティティクライシスそのものを、悪いものだとは思っていません。

クライシスに陥った人が、そこから「本当の自分」を見つけ直すことはあります。

役割から降りるきっかけになり、長年フタをしていた欲求が浮かび上がる。
それがきっかけで人生が変わる人もいるでしょう。

ただ、40代になって突然、初めてその問いにぶつかるのと、断続的に向き合い続けてきたのとでは、衝撃の大きさがまったく違うと思います。

私が「たぶん来ない」と言えるのは、免疫があるということじゃなくて、「この迷いの解決法を、少し知っている」ということだと思っています。

今、虚無感の渦中にいるあなたへ

虚無感を感じながらこの記事にたどり着いた人に、最後に一つだけ。

その虚無感は、たぶん「役割を脱いだ私には何もない」という恐怖から来ています。
でも、何もないんじゃなくて、まだ見えていないだけだと思う。

見えるようになるには、時間と、小さな問いの積み重ねが必要です。

「いまなんか嫌だった」「これは何の感情だろう」——そういう問いを、流さずに拾い続けること。

それが遠回りに見えて、一番の近道だと、私は思っています。

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